ネットユーザー 林深時霧起(リンシェンシーウーチー)
ついに、朝陽寺の禅修(ぜんしゅう:坐禅などの修行体験)プログラムに申し込むことができました。秋晴れの爽やかな季節、私は北京の懐柔(かいじゅう)地区へ向かう旅に出ました。朝陽寺は山頂にありますが、修行センターは山麓にあります。指導してくださる師から、「今回学ぶのは『生活禅』。衣食住すべてが修行そのものです」との教えが示されました。

初日に受付して早速、スマートフォンが没収されました。スマホに煩わされることがなくなり、気が楽になって、自由になったと感じました。毎朝5時には起床し、簡単な身支度を済ませてから山に登り、読経が始まります。私は読経ができませんが、師の読経の声を聞いていると、確かにある種の力を感じ、「場」の存在を本当に感じられたようでした。
読経が終わると山を下りて朝食を食べます。食事はすべて精進料理で、シンプルですが、美味しいものでした。食事中は、足を組むこと、話すことは禁止され、そして残すことももちろん禁止です。食器洗いには流水を使わず、たらいに水をためて順番にすすぎます。当たり前だと思っていたことについて、こうして改めて考えさせられ、自分の日頃の行いには不十分な点が多いと気づかされました。
朝食後は再び歩いて山に登ります。この間は一切私語をせず、「行禅」として歩く瞑想を実践し、師の説法を聞きます。大半の内容は、私たちにも理解しやすいように話されました。同時に、師の言葉の多くは私たちに目から鱗が落ちるような気づきを与えてくれました。特に印象的だったのは、人や物事、さらには修行そのものにすら「執着してはいけない」という教えでした。師はいろいろなことを話されました、ここではその全てを書ききれません。
説法の後、山を下りて昼食をとり、その後に1時間休憩します。午後は拳法と立禅(りつぜん:立つ姿勢での瞑想)の時間です。夕食後には再び山に登って坐禅をします。私語や体を動かすことは禁止され、「線香二本が燃え尽きる間」の約1時間半、坐り続けます。足が痛くなることもありましたが、なんとか耐えられる程度でした。
二日間という短い期間でしたが、得るものは非常に大きかったです。食事や宿泊の環境はごく質素でしたが、かえって自由で心地よい生活だと感じられました。普段の生活は物欲にとり囲まれていますが、本当にそれらは必要なものでしょうか?スマートフォンを持たずに大量の情報を受け取ることもなく、読書したり写経したり。こうしたシンプルな生活こそ、心のゆとりを生むものだと実感しました。
2025-01-17 08:58




