広東省韶関市に位置する東華禅寺は、南朝梁の武帝が開国した元年(502年)に創建され、1500年以上の歴史を持ちます。もとは「霊鷲寺」と称し、インドから来た高僧・智薬三蔵禅師によって開山されました。
661年、禅宗の六祖・慧能大師が五祖から継承した衣鉢を携えて南下する途中、この寺に滞在し隠棲したことから、霊鷲寺は東華禅寺と改称されました。唐代から宋代にかけて隆盛を極めましたが、明代から清代にかけて荒廃の時期を経ました。

1997年、4年間の閉関修行を終えた萬行法師が東華山を訪れ、さらに3年間の閉関修行を続けました。30歳で出関した後、萬行法師は東華禅寺の復興を発願し、禅宗の法脈の灯を再び灯すことを誓いました。復興後の東華禅寺は「愛国文化、祈願文化、農禅文化、孝親報恩文化」を四つの柱とし、人々に尽きせぬ精神的財産をもたらしています。
東華禅寺は禅宗の道場として、祖師の教えを継承し、農と禅を一体とする「農禅並重」を実践。山林仏教の清らかな禅風を守りながら、東華禅動功、東華禅静功、東華覚照禅という三つの修行体系を確立しました。
東華禅動功
先天のエネルギーを活性化し、人体の奇経八脈と十二経絡を通じさせる功法です。その源流は古代インドのヨガ修行にあり、七つの動作から構成されています。継続的な実践により、陰陽の調和、体質強化、健康長寿が期待でき、簡便でありながら理に適った修練法です。
東華禅静功
禅・浄土・密教の三つの教えの精髄を融合し、「調身・調息・調心」の三段階を基本とします。「三字明」の真言と金剛誦・瑜伽誦の法を組み合わせ、誦呪によって生じる気流と音波で頭頂の梵穴輪を開き、宇宙のエネルギーと一体となる「万物同体」の境地を目指します。
東華覚照禅(東華禅)
方丈・萬行大和尚が30年以上の実修実証を経て編み出した智慧の結晶です。幼くして仏門に入り、閉関によって悟りを開き、寺院を建立して法を広め、衆生を済度するまで、「人本仏教」の思想を打ち立て、人々が本源を悟り解脱するための道筋を示しました。
「東華禅」は釈迦牟尼仏の思想を源流とし、「人間を根本とする」ことを基盤とします——人を尊重し、寛容に理解し、奉仕する姿勢を重んじ、衆生の平等を説き、人間としての生き方を土台としながら、仏となることを究極の目標と掲げます。
「東華禅」は祖師禅の手法を受け継ぎ、「妄念が起こることを恐れず、覚知が遅れることを恐れる」と説きます。行住坐臥(日常生活)の中で覚知を養い、完成させ、活用することを目指します。
「東華禅」は人間を根本とし、日々の出来事を通して心を練り、人生を覚り、人生に奉献することを旨とします。人間仏教を実践し、人間浄土を開き、人間菩薩を成就することを目的としています。
「東華禅」は信仰を生活に根ざし、修行を「今、ここ」に定着させることを重視します。仏法を世間に活かし、個人を大衆の中に融け込ませ、「仕事の中で修行し、修行の中で仕事をする」姿勢を奨励します。責任を果たすことで福徳を積み、覚知によって智慧を磨き、奉献を通じて解脱を実現します。
「東華禅」はまず「発心」を重視し、実修実証を重んじ、行願を満たすことを求めます。四無量心を発し、四摂六度を修め、十大願王を実践する——虚空に限りがあろうとも、行願に終わりはないと説きます。
「東華禅」の功法は次のように説きます:
私たちが観る眼前の真実は、単なる意識の表象ではありません。
目を閉じようと、開いて前を見ようと、その真実は変わりません。
肉眼があっても真実を識別できない者は、その奥義を知ることができません。 しかし、ひとたび開眼すれば、広大な世界(大千世界)が一目瞭然となります。
修行により、凝り固まった見方(目を剔り、眉を吊り上げて)が変わり、固定観念(黒)が真実(白)へと転じます。
途切れることなく綿密に修行を続けることで、 主体と客体の区別がなくなり、分別智(知識)は消え去ります。
その根源的な教え(元来の家風)は今も変わりません。
仏の教えを学んで真の人間となり、真の人間としてさらに仏の道を深く学ぶのです。
「東華禅」の心法は次のように示します:
「常に善き思いを保ち(善く念を護り)、心を清らかにし(心を清浄にし)、常に覚りの状態にあり、一つのところに執着することなく住する」
(本稿は東華禅寺の資料に基づき、筆者が東華禅を紹介するもの)



