アジアのシルバーエコノミー 2026年はASEAN戦略始動の年
ロヤ・東京発

2026年6月4日、フィリピン・ケソン市で「ASEANのシルバーエコノミーを解き放つ」と題したハイレベルフォーラムが開かれていた。
フィリピン国家高齢者委員会のカミロ・グドマリン委員は壇上に立ち、「ASEANシルバーエコノミー活性化フレームワーク」と題する提案を示した。「2035年までに、高齢者の貧困をなくし、誰もが尊厳を保って年齢を重ね、生涯にわたり意義ある形で社会に参加できるようにする。さらに、ASEANが世界の健康寿命分野を主導し、世代間の連帯を実現する」と語った。
グドマリン氏は「これは夢ではない。ロードマップだ」と強調した。この行動枠組みは、東南アジア全体で高齢者政策、産業連携、技術基盤を体系的に組み直そうとするものだ。最大の転換点は、高齢化を「負担」ではなく「資産」と捉え直し、「福祉の課題」から「経済・社会の機会」へと位置づけを変えたことにある。
アジアのシルバーエコノミーを見渡すと、東南アジアは中国、日本、韓国とは大きく異なる道を歩み始めている。日本のように整備された介護保険制度も、韓国の財閥が主導するAI健康モニタリングの仕組みも、中国のように政策と市場が両輪となって動かす巨大市場もない。一方で、若い人口構成がもたらす時間的な余裕、ASEAN域内で形になりつつある協力枠組み、タイやマレーシアが医療ツーリズムやリタイアメント移住で培ってきた競争力という、明確な後発者利益がある。
ASEANが示した答え 福祉の課題から長寿資産へ
ASEANがシルバーエコノミー戦略を本格的に動かし始めたのは、2026年である。
2026年1月、ASEANアクティブ・エイジング・イノベーション・センター(ACAI)は「ASEANアクティブ・エイジング地域行動計画」を発表し、加盟11カ国に四つの柱からなる戦略の方向性を示した。6月3、4日には、2026年のASEAN社会文化共同体議長国であるフィリピンが「シルバーエコノミー解禁」に関するASEANハイレベルフォーラムを主催した。ここで正式に提案された「ASEANシルバーエコノミー活性化フレームワーク」は、社会保障と所得保障、統合的な保健・介護体制、生涯学習と生産的な社会参加、価値創出とシルバー産業、高齢者にやさしい地域づくり、域内協力の六つを実行の柱に据える。
六つの柱の英語名称の頭文字を並べると「SILVER」になる。偶然ではなく、シルバーエコノミーそのものを「銀」に重ねた意図的な設計だ。
実施ロードマップは三段階に分かれる。
2026~2028年は「基盤整備期」。各国が高齢化の状況を評価し、データ基盤を構築するとともに、高齢者にやさしい地域づくりを試行する。
2028~2031年は「制度強化期」。介護人材の認証、保健医療財源の拡充、高齢者に配慮したインフラ整備を進める。
2031~2035年は「イノベーション・統合期」。ASEAN全域のAgeTech(エイジテック)エコシステムを立ち上げ、国境を越えたシルバー分野への投資を後押しする。
グドマリン氏がフォーラムで繰り返した通り、「これは夢ではない。ロードマップだ」。
東南アジア域内に広がる温度差
ASEANが共通の枠組みづくりに動いた背景には、東南アジアのシルバーエコノミーが抱える現実がある。国ごとの発展段階に大きな開きがあるのだ。
東南アジアの65歳以上人口は2025年に約7800万人に達し、2020年から約27%増えた。2030年までには、域内で7000万人を超える人が65歳を迎える見通しだ。高齢者向けサービス市場は2026年に520億ドルを突破し、年平均成長率は12%を上回るとみられている。
ただし、高齢化の進み方は国によって大きく異なる。
タイは東南アジアで最も高齢化が進み、2026年には65歳以上が人口の15.36%を占める。域内シルバーエコノミーの先行国であり、最大の単一市場でもある。質が高く、比較的安価な医療を強みに、世界有数の医療ツーリズム先として定着してきた。2026年には医療ツーリズムを「黄金の年」の重点分野に掲げ、東南アジア最大の医療ツーリズム拠点としての地位をさらに固めようとしている。50歳以上を対象とする非移民O-Aビザ、いわゆるリタイアメントビザは、80万バーツ(約360万円)以上の預金などを申請要件とする。2025年の高齢者向けウェルネス・ツーリズムのサービス輸出収入は12億ドルに達した。
シンガポールは、域内でシルバーエコノミーへの備えが最も進んだ市場だ。市場規模はすでに835億ドルに達し、2030年には1221億ドル(約1550億シンガポールドル)へ拡大する見通しである。60歳以上の住民の消費力は現在7万2000ドルで、2030年には9万1700ドルに伸びると予測されている。2026年、同国は正式に超高齢社会へ入った。シンガポール経営大学とアジア高齢化協会が共同でまとめた「2026~2030年アジア太平洋シルバーエコノミー事業機会報告」によると、同国はアジア太平洋シルバーエコノミー指数で首位を維持している。オン・イエクン保健相は、バイオメディカル科学、栄養学、AIなどを強化し、「健康寿命経済」を築く好機を捉えるべきだと述べている。
マレーシアは「世界の退職後に暮らしやすい国」の10位に入った。人の温かさと手ごろな生活費が評価されており、ペナンでは4ベッドルームのマンションの月額賃料が約4500リンギット、私立病院の専門外来は100~250リンギット程度だという。「マレーシア・マイ・セカンドホーム」(MM2H)は、外国人の長期滞在をビザの面で支えている。
ベトナムも追い上げを急ぐ。高齢者人口は現在約1650万人。政府は2025年2月、国家の行政文書に「シルバーエコノミー」を初めて明記し、「高齢者国家戦略」を承認した。計画期間は当面2035年まで、長期では2045年までとしている。2026年にはベトナム高齢者協会が高齢者法改正の整備に加わり、シルバーエコノミーの発展策を検討する。中間層の拡大を背景に、高齢者関連の消費支出はベトナムとフィリピンで域内最速の伸びを示し、2025年はそれぞれ前年比18%、15%増えた。
インドネシアとフィリピンは、65歳以上の人口比率がそれぞれ7.29%、5.49%とまだ低いものの、準備を加速している。インドネシアでは2025年に高齢者向けサービス施設が3000カ所増え、フィリピンはASEANのシルバーエコノミー枠組みづくりを主導している。
東南アジアが持つ後発者利益
中国、日本、韓国と比べた東南アジアの後発性は、三つの面で強みに変わり得る。
第一は時間的な余裕だ。東南アジア全体の高齢化率は、なお東アジアを下回る。65歳以上が15.36%を占めるタイでさえ、日本の29.4%に比べればまだ「若い」。高齢化がピークを迎える前に、制度を整え、枠組みをつくり、モデル事業を試す猶予がある。
第二はASEAN域内の制度連携だ。中国、日本、韓国がそれぞれ個別に対応する一方、東南アジアは地域協力を模索している。六つの柱と三段階のロードマップが実現すれば、世界初の地域横断型シルバーエコノミー協力枠組みとなる。高齢者関連データの共通基準、国境を越えた投資、域内AgeTechエコシステムが構想から現実に移れば、市場の規模は各国を単純に足し合わせた以上の相乗効果を生む可能性がある。
第三は、コストと文化の両面における優位性だ。生活費が低く、質の高い民間医療を利用できる東南アジアには、中国、日本、韓国、欧米から退職者が集まり始めている。タイのリタイアメントビザは、80万バーツ(約360万円)以上の預金などが申請要件となる。一方、東南アジアでは大家族の伝統がなお残り、家族による高齢者ケアが主流だ。これは、地域密着型ケアや在宅介護を広げるうえで、西洋諸国にはない社会的な土台となる。
課題は大きくも残された時間は少ない
もっとも、後発であることは、整備の遅れも意味する。
インフラ不足は深刻だ。高齢者施設の入居率は欧州が58%、地域サービスのカバー率は北米が42%であるのに対し、東南アジア全体では施設入居率が15%未満、地域サービスのカバー率も11%にとどまる。2030年時点でも施設のベッドは120万床不足し、地域サービス拠点を少なくとも8000カ所増やす必要がある。
支払い能力も弱い。東南アジアの生産年齢人口のうち、公的・正規の年金制度に加入しているのは23%にすぎず、中低所得層の負担能力を制約している。多くの事業は、キャッシュフローが黒字化するまで3~5年を要する。
専門人材も足りない。多くの国では、介護人材の育成・認証制度がなお緒に就いたばかりだ。先進国のシンガポールでさえ、回答者の85%がシルバーエコノミーの力強い成長を見込む一方、需要と供給体制の間には明確な隔たりが残る。
政策の実行にも不透明感がある。現時点のASEANの枠組みは草案であり、加盟国がさらに協議を重ね、内容を整え、合意を形成しなければ正式採択には至らない。実際に動き出すかどうかが、東南アジアの今後10年を左右する。
東南アジアのシルバーエコノミーが後発の立場から巻き返せるかどうかは、時間との競争にかかっている。東南アジアはすでに7800万人の65歳以上人口を抱え、1億2700万人に及ぶ高齢者の「長寿資産」が活用を待っている。
ASEAN枠組みの提案は、東南アジアが一つの地域として初めて高齢化に向き合ったことを意味する。高齢者を「負担」ではなく「長寿資産」と捉える発想だ。六つの柱、三段階の実施計画、2035年の目標。このロードマップを構想のまま終わらせず現実に移せるかが、後発の強みを生かした巻き返しとなるか、単なる立ち遅れに終わるかを決める。
より広く見れば、東南アジアの試みはグローバルサウスの国々に、高齢化への新たな対応モデルを示そうとしている。制度が十分に整わず、資源にも限りがある中で、地域協力によって1億2700万人規模のシルバー市場をどう動かすのか。その答えが問われている。



