「出汁(だし)」から「一人前」へ:料理学校が伝える日本の味覚——東京調理製菓専門学校の教育の秘密と中国人留学生たちの成長
日本料理の世界において、昆布と鰹節から引く「出汁」は、すべての味覚の原点である。それは澄み渡り、控えめで、決して主張しすぎないが、料理全体のベースを決定づける。出汁の引き方を学んで初めて、本当の意味で和食の世界の入り口を通過したと言える。

JR、都営地下鉄、または西武線に乗り、新宿駅で電車を降り、西口へと向かう。駅を出た後は、小滝橋通りを大久保方面へゆっくりと歩いていく。一本の目立たない路地に入ると、飾り気のない、質素な雰囲気の校舎が目に入る。入口には派手な看板はなく、「東京調理製菓専門学校」と刻まれた金属製の銘板が、静かに外壁に嵌め込まれているだけだ。
ここは新宿エリアにありながら、意外にも繁華街の賑わいから少し距離を置いた、落ち着いた空気をたたえている。周辺には飲食店やスーパー、生活施設が充実し、飲食関連のリソースも数多く集積している。学校法人食糧学院が運営するこの専門学校には、日本料理、西洋料理、中国料理、製菓などのコースがあり、1年制の調理師本科から2年制の高度技術経営学科まで、多層的なカリキュラムが用意されている。授業の80%以上が実習に充てられており、「即戦力」の育成、つまり、学生が卒業する頃には、厨房でそのまま力を発揮できる実力を身につけさせることが重視されている。 しかし、こうしたハード面以上に注目すべきは、この学校が日本料理の「根幹」をいかに守り、伝えているかという姿勢である。

ここでの二人の中国人留学生——趙浩成(ちょう・こうせい)さんと沈文娟(ちん・ぶんけん)さんの物語は、「出汁」を学ぶ段階から、「一人前」へとステップアップしていくプロセスを、鮮やかに物語っている。
「味付け」先行:東京調理製菓専門学校の教育理念
今井(いまい)校長はこの学校で日本料理を担当している。日本料理の最も重要な特徴について尋ねたとき、彼は食材や包丁捌き、盛り付けといった目に見える技術ではなく、「四季折々の食材と、それに伴う基礎知識——野菜の下処理や魚の扱い方」を真っ先に挙げた。

一見、教科書通りの模範解答のように聞こえる。しかし、彼が他の指導者と一線を画すのは、「教える際のさじ加減」の絶妙さである。
「日本料理は細かい作業が非常に多く、突き詰めれば切りがありません。最初からあまりに深く、複雑なことばかりを教えてしまうと、学生は委縮してしまいます」と今井先生は言う。
彼のメソッドはこうだ。まず学生に「基本はこうですよ」と提示し、その後に「実はこういう応用もできますよ」と見せる。「応用」によって知的好奇心を刺激し、再び「基本」の反復練習へと学生を連れ戻す。この「ゴールから逆算する」教育ロジック、つまり「技法の詰め込み」よりも「興味の誘発」を優先する実践は、専門学校の指導現場でも新鮮に映る。
教育理念が色濃く現れる「味付け」
「教えるのが最も好きな日本料理は何か」という問いに対し、今井先生の答えは意外なものだった。具体的なメニューではなく、「出汁の引き方」と「ご飯の炊き方」だというのだ。
「これらこそがすべての土台です。そのため、授業では言葉で解説しながら、実際に目の前でやって見せることを大切にしています」と語る。なんと言っても、日本は「魚の国」だ。魚料理を中心に据えたデモンストレーションに力を入れている。
こうした「土台最優先」の教育理念は、すべての専門学校で一般的というわけではない。就職率を重視するあまり、流行のメニューを優先して教える学校も少なくないからだ。しかし今井先生は、出汁が分からなければ日本料理を本当に理解したことにはならない、と言い切る。昆布の旨味と鰹節の旨味が掛け合わさることで生まれる「相乗効果」こそが、日本料理の魂なのだ。
彼は、外国人留学生が最初はこの繊細な味に馴染めずに苦労する点についても触れた、
「日本料理の味付けは非常にシンプルで、基本的に、昆布と鰹の出汁、そしてわずかな塩だけです」と今井先生は言う。
「留学生の多くは辛い味が大好きで、何にでも辛味を足したがる傾向があります。お吸い物にしても、最初は物足りなさを感じて、胡椒やスパイスを入れたがります。しかし、学びが深まるにつれて、彼らはその中にある『旨味』を感じ取れるようになっていきます。私は学生たちに、辛味を足してしまっては、食材が本来持っている繊細な美味しさを感じられなくなると伝えています」。 味付けを「足し算」から「引き算」へとシフトさせていくこの味覚の変革は、日本料理を学ぶすべての外国人が避けては通れないプロセスである。

教育理念は、言語や文化の差異への細やかな目配りに表れる
今井先生はもう一つ、興味深いエピソードを教えてくれた。留学生が日本の調理に特有な表現に馴染むにはかなりの時間を要するという。例えば、火の通り具合を表す「火が通る」といった表現や、「白髪ネギ」という漢字の名称に対して、学生から「なぜ『白毛ネギ』と呼ばないのですか?」と質問されることもあるそうだ。
こうした言葉のニュアンスの違いこそ、文化の違いそのものである。それらを理解するために必要なのは、単なる語学力ではなく、日本の食文化の底流にある考え方への共感なのだ。
若き料理人の挑戦

趙浩成さんは中国の江蘇省丹陽(たんよう)市出身。母国でも料理学校に通い、卒業後は常州(じょうしゅう)市にあるラグジュアリーホテルで2年間、料理人として働いた。
「しかし、働いているうちに一種のボトルネックを感じるようになった。自分にはもっと成長の余地があるように思えて、海外に出て視野を広げたいと思ったんです」と彼は語る。ちょうど叔父が早くから日本に渡っていたため、その縁を頼って来日を決意した。
母国から直接専門学校に出願する多くの留学生とは異なり、趙さんはまず東京の杉並区にある日本語学校で1年半学び、JLPT N3を取得してから東京調理製菓専門学校に入学した。
彼が選んだのは、外国人留学生を対象とした「国際料理ビジネス科」だ。授業の進め方が比較的分かりやすく、母国での調理の基礎もあったため、最初の適応はそれほど難しくなかった。しかし、彼が「腕が一段と上がった」と実感したのは、入学後に和食のシステマチックな調理体系に触れてからだった。
味付けの発想における根本的な転換
「以前に中国で学んだ調理と比べると、和食は多くの面で全く異なります」と彼は言う。
まずは基礎技法だ。中国にいた頃は、家庭でも厨房の賄い(まかない)でも、醤油、オイスターソース、料理酒といった中国の調味料を使うのが当たり前だった。しかし、学校で体系的に学んだことで、今では日本独自の調味料の扱い方に習熟している。昆布出汁の引き方、みりんによる甘みのコントロール、薄口醤油による繊細な風味付けなどである。 「日本に来たばかりの頃、僕が作る料理は中華寄りだったので、油が多くて味も濃かったんです。職場の同僚からのフィードバックを受けて、少しずつ調整していきました。今の僕の調理スタイルは和食の影響を強く受けていて、味付けもかなり優しく、淡白になりました」と語る。



「再現」から「創作」へ:卒業制作展での脱皮
趙さんにとって最も嬉しく、達成感があった瞬間は、昨年の卒業制作だった。
「当時は日本に来てまだ間もなくて、日本料理の真髄をどう表現すべきかずっと悩んでいました」。最終的に彼が選んだのは、中華の古典的な料理である「菊花豆腐」と「天鵝酥(スワンパイ)」の再現だった。これらは極めて高度な包丁技術(刀工)と造形センスが要求される。完成した一皿を披露したとき、会場からは高い評価が寄せられた。
「それは去年のことです。実は昨日も電車の中で『今年の卒業制作は何にしようか』と考えていました」と彼は言う。「この1年間の深い学びを経て、今度はもっと和食の技法を取り入れた『創作料理』に挑戦したいと思っています」。 母国の文化を「披露」する段階から、学んだ「和の技法」を使って「創作」する段階へ。趙さんの成長曲線は、一人の中国人留学生が日本調理教育の中で見事に成し遂げた脱皮のプロセスを鮮明に描き出している。
キャリアを持つ店主の再出発

一方、沈文娟さんのストーリーは、店舗経営からさらなる高みを目指すための「学び直し」の軌跡である。
趙さんとは異なり、沈さんのスタートラインはより高い場所にあった。彼女は来日前、中国国内で10年間、洋菓子店を経営していた実績を持つ。
「中国と日本では、お菓子の作り方やアプローチにおいて違う部分がたくさんあります。だからこそ、一度日本に来てしっかり学ぶ必要があると感じました」と彼女は言う。彼女は2023年9月に来日し、現在はこの学校で製菓を専攻している。
彼女にとって、授業におけるハードルは技術そのものではなかった。「技術的な面で言えば、特別に難しいと感じることはありません」と率直に語る。最大の障害はやはり言葉だった。「日本に来た当初は、やはり日本語でのコミュニケーションに一番苦労しました」。
しかし同時に、中国人留学生ならではの強みも実感している。「他国の留学生にとっては、漢字が最大の難関になることが多いですが、中国人の私たちにとって漢字は大きなアドバンテージです。普段の授業や筆記試験でも、アドバンテージを感じます」。 彼女の授業の受け方は極めて実直だ。ノートを徹底して取ることである。「もし日本語の表現がその場でパッと理解できなければ、まずは中国語でメモしておきます」。興味深いことに、日本のクラスメイトたちも熱心にノートを取るそうで、「私たち以上に細かく丁寧に書き込んでいます」という。
学校の隠れた看板:「ミシュラン級」の学生レストラン
沈さんがインタビューの中で繰り返し絶賛した場所がある
高度調理技術科2年生が営業する「学生レストラン」だ。
「この学校で私が一番気に入っているのは学生レストランです。だって、学生ならたった600円でランチが食べられるんですよ(笑)。外部の一般の方が食べに来ると1800円する内容なんです。それくらいレベルが高くて、本当に美味しい」。彼女のイチオシは日本料理のレストランだ、「外食で食べたどのお店のよりも美味しいです」。
このレストランの質の高さには、学校の歴史が関係している、「もともとうちの学校は調理・料理をメインにスタートした学校で、製菓は後から徐々に発展してきた経緯があります」。
現在では、日本料理、西洋料理、中国料理、製菓の4大専攻が並び立つ体制となっており、学生レストランこそが各専攻の学生たちにとって最高の「実戦の場」となっている。前菜からデザートまでを提供し、さらにサービスも行う。それらすべてが、同じ食堂内で教員や学生、訪問客によるリアルな評価に晒されているのだ。 「この学校で学ぶべきものが多すぎて、学んでも学びきれないくらいです」と沈さんは少し残念そうに語る、「今年はパティシエ・ブーランジェ科というケーキとパンを学ぶクラスにいるのですが、時間割の関係上、日本料理のレストランをなかなか利用できず残念です」。

一方、趙さんは別の方法で「学校での学び」と「市場での実践」のサイクルを完成させている。彼は居酒屋でアルバイトをしており、学校で学んだ新しい技術を、夜の賄いの場で「再現」しているのだ。
「どこが上手くいったかを自分で分析して、今度別の料理を作るときに、その飾り切りの技術や調理法のジャンルを超えて『ミックス』させてみたりします」と彼は言う。同校の技術が詰まった彼の賄いは職場で好評で、「みんな喜んで食べてくれます」とはにかむ。
「学校で技術を学び、バイト先で実践し、フィードバックを得る」。このサイクルこそが、彼の料理人生活における最も役に立つ成長のプロセスとなっている。
彼はまた、日本での面白い気づきとして、日本人の日常に根付く「医食同源」の実践の例として「ゴボウ(牛蒡)」を挙げた。
「中国では、ゴボウは日常の食材としてあまり使われず、漢方の薬材としてスープの出汁(煲湯)に使われることが多いです。でも日本では、どこでも手に入って安くてポピュラーですよね。日本人がゴボウを使って様々な『煮物』を作るのを見て、体を労わる薬材を日常の食卓に自然に取り入れる習慣は、本当に素晴らしいなと感じました」。 現在、趙さんは食材の扱い方を模索している段階だが、今年は「食品栄養学」の講義を履修する予定で、より専門的な知識に触れることになる。理論と実践の融合こそ、この学校のカリキュラムデザインの核である。
経験者からの助言:ビザ!ビザ!ビザ!事前に計算しておくべき現実的な道
卒業後の進路について尋ねたとき、趙さんの回答は「憧れ」だけで動く多くの留学生とは異なり、非常に冷静で現実を見据えたものだった。
「卒業後は日本の優れたレストランに就職して、技術や経営理念をさらに学びたいと考えています。現在のビザの要件は厳しくなっていると聞きますが、就職活動には全力を尽くします」。 彼は、現在の飲食業界における留学生の就労ビザの選択肢を詳しく整理している。

第1のルートは「特定技能1号(外食分野)」だ。これは現在、多くの調理系留学生が選択する現実的な移行ビザとなっている。彼は、現在の制度変更によって特定技能1号から「特定技能2号」へのステップアップが可能になった点に注目している。2号になれば、家族の帯同が可能になり、在留期間の更新回数にも制限がなくなるため、実質的に長期定住への道が開けるからである。
第2のルートは、食品工場などの加工製造分野に関わるビザであり、これも選択肢の一つである。
第3のルートは、日本の食文化を世界に発信する人材のために設けられた「特定活動ビザ(告示46号)」だ。最長5年間の在留が可能だが、審査基準は極めて厳格であり、企業側が詳細な育成計画を提示する必要がある上、期間満了後は原則として帰国することになっている。
「今の自分にとってどの選択肢がベストか、慎重に見極めているところです」と趙さんは語る。
ビザの制度に対してこれほど明確な認識を持つ留学生は多くない。これは日本の飲食業界における就労ビザの複雑な現実を物語ると同時に、趙さん自身の極めて現実的なキャリアプランニングの姿勢を反映している。
二人の留学生が共通して強調したのは、来日前に母国でしっかりと日本語を学んでおくことの重要性である。日本を目指す後輩たちへのメッセージとして、彼らは最も真摯なアドバイスを贈ってくれた。「何よりも先に、中国にいるうちに日本語をちゃんと学ぶことです。言葉が不自由だと、日本での生活も、コミュニケーションも、進学も、すべてにおいて大きな壁にぶつかります。言葉の土台があってこそ、ここでの学びや生活の利便性を十分に享受できるのです」。 二人の実感が指し示す結論は同じだ。調理の技術は日本に来てからいくらでも学べるが、日本語の能力だけは、母国にいるうちから蓄積を始めておくべきだ、ということである。



