バンコクで広がるラグジュアリー消費の最前線

(李達・東京報道)6月のバンコク。午後の強い日差しを受け、アスファルトから熱気が立ち上る。インドから訪れたアディティ・シャルマさんは、サイアム・パラゴン(Siam Paragon)の脇の入口から館内へ入った。外の暑さを遮るように、冷気が一気に押し寄せる。エレベーターの扉が開くと、白い半袖シャツ姿のスタッフが両手でフロアガイドを差し出した。アディティさんが目を落とすと、そこには一つのフロアに六つの国際的な高級ブランドが並んでいた。
サイアム・パラゴンはタイ最大級の高級ショッピングセンターで、開業から20年を経た今も、同国のラグジュアリー小売市場で大きな存在感を保っている。しかし、現在のバンコクは、もはや一つの大型高級モールだけが注目を集める街ではない。タイ経済の成長率が2%を下回ると見込まれるなか、この都市では新たなラグジュアリー消費の地図が描かれつつある。
誰がバンコクに向かっているのか?
アディティさんはサイアム・パラゴンを後にし、午後の渋滞に巻き込まれながらタクシーで移動した。運転手はつたない英語でこう話した。
「以前、外国人がタイに来ると、行き先はほとんどサイアムでした。でも今はOne Bangkokもできたし、川沿いにはICONSIAMもある。人の流れは分散しています」
少し間を置いて、運転手はこう付け加えた。
「お金を使える人が増えているんです」

約30分後、アディティさんは総事業費32億ドルの複合開発「One Bangkok」に到着した。各国大使館やオフィスが集まるエリアに位置するこの施設は、全面開業後、商業施設3棟、オフィス高層ビル5棟、ホテル5棟、住宅棟3棟を擁する計画だ。入居率はすでに80%を超える。ロレックス(Rolex)はここにタイ初の二層構造のコンセプトブティックを開設した。店舗面積は300平方メートルに及び、現時点で同ブランドのタイ国内最大規模の店舗となっている。
店の前で友人を待っていた観光客は、アディティさんにこう語った。
「毎年一、二回はバンコクに来ます。以前はサイアムで買い物をすることが多かったのですが、今は選択肢が増え、来るたびに新しい発見があります」
One BangkokからICONSIAMまでは、タクシーで約20分。車がチャオプラヤ川を渡ると、右手には高層ビルが並ぶ新しい街並み、左手には旧市街の低い屋根が広がる。両岸の景色には、数十年分の時間差があるように見える。車は橋を渡り、ICONSIAMの正面に着いた。
チャオプラヤ川西岸に位置するこの複合施設は2018年に開業した。現在ではモンクレール(Moncler)、ブルネロ クチネリ(Brunello Cucinelli)、ジマーマン(Zimmermann)などがタイ1号店を構え、エルメス(Hermes)はタイ初の三層旗艦店を、プラダ(Prada)は初の二層店舗を展開している。ティファニー(Tiffany & Co.)は東南アジア初となる「Favrile facade」コンセプトストアを出店した。
そのわずか1週間前には、スイスの高級時計ブランド、ジャガー・ルクルト(Jaeger-LeCoultre)がICONSIAMに新ブティックをオープンした。業界メディアの集計によると、過去1年間に東南アジアで新設されたラグジュアリーブランドの旗艦店26店のうち、11店がタイに集中している。2025年後半から2026年第1四半期にかけて、ICONSIAMだけで51以上のブランドと契約を結び、その多くがタイ市場への初進出だった。総投資額は15億バーツを上回る。
アディティさんがICONSIAM最上階の休憩スペースでコーヒーを飲んでいると、スマートフォンにニュース通知が届いた。中国発のティーブランド「喜茶(HEYTEA)」がタイ市場への進出を決め、1号店を同じくバンコクに出すという。数十元の茶飲料は「ラグジュアリー」とは呼べないかもしれない。それでも、数十万バーツの高級時計と同じ都市を選んだ点では、同じ潮流の中にある。バンコクは今、東南アジアの消費高度化を象徴する都市になりつつある。
誰が消費を支えているのか?
三つのモールを巡るうちに、空はすっかり暗くなっていた。アディティさんはICONSIAMの川沿いのレストランで席に腰を下ろし、バンコクで家業を営む実業家と出会った。彼は、タイの輸出や製造業はここ数年厳しい状況にある一方で、バンコクの高級消費はなお活発だと話した。アディティさんの疑問を察したように、彼はこう続けた。
「私の家族の会社も影響を受けています。それでも、周りの友人たちの支出が減ったようには見えません」

この言葉は、目の前で起きている現象をよく説明している。タイの第1四半期のGDPは前年同期比2.8%増となったが、複数の機関による2026年通年の成長率予測はおおむね1.6%から2%の範囲にとどまる。タイ投資委員会(BOI)の公式予測は1.6%だ。一方で、民間消費は2.3%増、民間投資は3.2%増が見込まれている。
背景には、いくつかの要因がある。ナイト・フランク(Knight Frank)のデータによれば、3000万ドル以上の資産を持つタイの超富裕層は2028年までに14.7%増加する見通しだ。タイは東南アジアで三番目に超富裕層が集まる国でもある。タイのラグジュアリー市場は、年平均9%の成長が見込まれている。
もう一つの要因は、観光需要の回復である。6月20日時点で、タイを訪れた外国人旅行者は年初から1544万人を超えた。タイ国政府観光庁(TAT)は2026年に3300万人の外国人旅行者を呼び込み、観光総収入2兆6500億バーツを目指している。政府の戦略はすでに「人数の追求」から「価値の重視」へと移っている。購買力の高い旅行者は、ラグジュアリーブランドにとって最も重要な顧客層の一つだ。
ローランド・ベルガーの2026年アジア消費者調査によると、タイの消費者の79%が価格よりも品質やブランドの評判を重視している。若い世代も、高級消費を支える新たな担い手になりつつある。
誰が市場を押し上げているのか
経済成長率が2%に満たない国の首都が、なぜこれほど多くの世界的ラグジュアリーブランドを引き寄せているのか。その答えは、タイ国内だけでなく、より広い東南アジア市場の構造にある。
タイは東南アジアの中心に位置し、6億7000万人を超える地域消費市場にアクセスしやすい。バンコクの国際空港は地域の航空ハブであり、毎年数千万人の国際旅客が乗り継ぎや滞在で利用する。ここに旗艦店を構えることは、タイ国内の富裕層、周辺国の消費者、世界各地からの旅行者という三つの顧客層に同時に接点を持つことを意味する。
さらに重要なのは、バンコクが単なる「商品を売る場所」から、「体験やイベントを生み出す場所」へ変わりつつあることだ。サイアム・ピワット(Siam Piwat)グループは東南アジア初の「バンコク・ウォッチ・ウィーク(Bangkok Watch Week)」を立ち上げた。世界的な高級時計ブランドが希少な作品を展示し、新作コレクションを発表する場である。バンコクは消費の目的地にとどまらず、地域のラグジュアリー文化を発信する拠点になろうとしている。
誰が取り残されているのか
夜の帳が下り、チャオプラヤ川の両岸に明かりがともる。アディティさんはICONSIAMの川沿いの遊歩道に立っていた。対岸には高級コンドミニアムの光が連なり、背後には明るく照らされたショッピングモールがそびえる。
しかし、すべての人がこの高級消費の盛り上がりを享受できているわけではない。タイ経済ではK字型の分化が進み、高級消費と大衆消費の間の隔たりが広がっている。ICONSIAMのラグジュアリーブティックがVIP顧客を迎えていた同じ月、タイ政府は中東情勢の影響などで債務を抱える一般家庭を支援するため、4000億バーツ規模の融資法案を承認し、消費者向けの補助金制度を打ち出した。
世界的に見ても、ラグジュアリーブランドによる東南アジアへの投資にリスクがないわけではない。ケリング(Kering)グループの2025年売上高は13%減少し、2026年には世界で約100店舗を閉鎖する計画だ。そのうち40%はアジア市場にある。世界のラグジュアリー大手が主要市場で逆風を受けるなか、東南アジアでの拡大が持続的な成長につながるかどうかは、今後の市場動向を見極めなければ判断できない。
バンコクの高級消費熱は、世界の資本が東南アジアの成長性に再び期待を寄せていることを示している。ただし、その判断はマクロ経済の成長率だけに基づくものではない。より直接的には、東南アジアで富裕層が増え、彼らが実際にお金を使うという見立てに基づいている。
GDP成長率が1.6%にとどまると見込まれるタイで、バンコクは世界の高級ブランドにとってアジアの新たな競争舞台になっている。この繁栄が続くかどうかは、高級消費の熱気を富裕層の買い物リストにとどめず、より広い経済成長の原動力へとつなげられるかにかかっている。
【記者の目】K字型分化のなかで過熱する高級消費
「1.6%のGDP成長」と「ラグジュアリーブランドの相次ぐ出店」。一見矛盾する二つの現象は、現代の世界消費市場にある一つの構造を浮かび上がらせている。高級消費はもはや、マクロ経済の成長と同じ歩調で動くとは限らない。K字型の分化のなかで、短く上へ伸びる線と、長く下へ沈む線が同時に存在している。
一つの都市の中に、超富裕層のための買い物の楽園と、一般家庭の家計不安が併存する。それは市場の例外ではなく、グローバル化が生んだ現実である。ブランドが出店地を選ぶときに見るのは、一般消費者の平均的な購買力ではなく、超富裕層の資産曲線だ。ラグジュアリーブランドは国全体の景気に賭けているのではない。彼らが見ているのは、K字の上へ伸びる短い線である。
GDP成長率がわずか1.6%と見込まれるなか、バンコクは世界の高級ブランドにとって新たな舞台になっている。ただし、本当の意味での繁栄には、K字の二本の線がもう少し近づくことが欠かせない。



