東南アジアのAIインフラ競争 先行する国と追う国
(李達・東京発)
2026年8月、マレーシア政府は東南アジア初となるAIデータセンター(AIDC)事業を正式に認可した。通常の事業認可ではない。Zhiyuan Holdings傘下のAIDC事業には、電力効率と水利用効率について所定の基準を満たすことが条件として付された。
この条件こそ、競争の真のハードルを物語っている。勝敗を左右するのは、もはや半導体だけではない。電力、水、そして人材である。
米調査会社IDCの最新予測によると、2026年の世界のAIインフラ支出は4970億ドルへ大幅に上方修正され、前年比で約56%増える。東南アジアは最大の恩恵を受ける地域の一つとみられている。域内の計算能力は2026年時点で4.4GWを超え、マレーシア南部ジョホール州、タイのバンコク近郊、インドネシアのバタム島には、データセンターやクラウド事業者が相次いで進出している。
ただし、東南アジアは一つの均質な市場ではない。高付加価値のルール形成を狙う国、規模を生かしたハブを目指す国、域外からあふれる計算需要を受け入れる国、周辺人材の育成に力を入れる国と、各国の役割は大きく異なる。
先行するシンガポールとマレーシア
シンガポールの立ち位置は明確だ。大量の電力を消費する拠点ではなく、ルールをつくる側を目指している。
シンガポールは2026年1月、今後5年間で10億シンガポールドル超を公的なAI研究に投じると発表した。基礎研究、応用研究、人材育成が三本柱だ。狙いは大規模な計算資源の増設ではなく、計算処理やデータ処理に伴う電力消費を抑える「資源効率の高いAI」の開発にある。ジョセフィン・テオ・デジタル開発・情報相は「AIの学習には膨大なエネルギーと水が必要だ。シンガポールにはすでに域内で最も高密度にデータセンターが集積しており、拡張は慎重に進めなければならない」と述べた。
シンガポールは強みを生かしつつ、制約を避ける戦略を取る。2025年時点で約70カ所のデータセンターを抱え、アジア太平洋でも有数の集積地となった。一方、国土の狭さと高い電力コストから、規模だけを追うことは難しい。シンガポール紙ビジネス・タイムズによると、電力費を含むデータセンター建設コストは世界で東京に次いで2番目に高い。
マレーシアが引き受けているのは、シンガポールが収容しきれない需要だ。
ジョホール州はシンガポールと橋一本で結ばれ、通信遅延は最短0.2ミリ秒、建設費はシンガポールの18.5分の1にとどまる。さらに税率5%を15年間適用する優遇策もあり、同国は東南アジア最大のデータセンター受け入れ先へ急浮上した。2026年1~3月期までに、ジョホール州とセランゴール州には59件のデータセンター投資案件が集まり、総電力需要は8.3GWに達した。オラクル65億ドル、アマゾン・ウェブ・サービス62億ドル、エヌビディア43億ドル、バイトダンス24億ドル、グーグル20億ドルなど、大手各社が投資を進めている。
資本の動きも速い。2026年8月、海外投資家によるマレーシア債券市場への資金流入は39億ドルとなり、統計が始まった2016年以降で最大の月間純流入を記録した。RBCキャピタル・マーケッツのアジア担当マクロストラテジスト、アッバス・ケシュバニ氏は「マレーシアはAI分野の勝者だ。輸出の伸びと海外直接投資の流入が力強い」と指摘する。
もっとも、先行には代償も伴う。2026年上半期に認可された投資のうち958億リンギット、全体の約44%がデータセンターとクラウド関連に向かった。マレーシアは東南アジアの「計算力工場」へ急速に姿を変えつつある。
追い上げるタイとインドネシア
タイは、この競争で最も速く追い上げる後発国となっている。
タイ投資委員会(BOI)は2026年5月6日、総額290億ドルに上る6件の大型事業を一括承認した。うちTikTok System(Thailand)は、バンコク、サムットプラカーン県、チャチューンサオ県でデータ保存・処理基盤を大幅に拡張するため、約8420億バーツ(約250億ドル)の投資認可を受けた。単一案件としてはタイのデータセンター史上最大である。
タイのデータセンター市場は年平均27.8%で成長しており、東南アジアでも上位の伸びを示す。市場規模は2025年の14億4000万ドルから2031年には62億8000万ドルへ拡大する見通しだ。東部経済回廊(EEC)が中核地域として台頭し、2028年に建設中または稼働予定の容量は149.9MWと、バンコク首都圏の約2倍に達する見込みである。
インドネシアは別の道を選んだ。域外需要を受け入れる計算拠点である。
エヌビディアは豪AIインフラ企業Firmus Technologiesと8年間の戦略提携を結び、シンガポールに近いバタム島に液冷式のAIファクトリー「NVIDIA DSX」を建設する。電力容量は360MWで、GPU17万基を配備する計画だ。Firmusは既存顧客からの引き合いを踏まえ、最初の6年間で250億~300億ドルの収入を見込む。
Firmusの幹部は「大企業と新興企業のコスト面の格差をどう縮めるかを模索してきた。競争条件を実質的に近づけ、新興企業にも大企業と競う機会を与えられる」と話す。
バタム島は海を挟んでシンガポールと向き合い、同国からあふれる需要を取り込む。インドネシアは資源輸出国から、域内への計算能力の供給国へ転じようとしている。
制度整備で先行するベトナム
計算能力の規模では、ベトナムはシンガポール、マレーシア、タイ、インドネシアに後れを取る。一方、制度づくりでは先行する。
ベトナム国会は2025年12月、同国初のAI法を可決し、2026年3月1日に施行した。人間中心と人による監督を原則に掲げ、国家AI計算センターの整備、長期的な人材戦略、学校教育へのAI知識の導入を盛り込んだ。
ベトナムの強みは、比較的低コストのデジタル人材だ。データのアノテーション、モデルの調整、AI関連業務の外部委託を通じ、域内AI産業の支援拠点になりつつある。ただ、独自モデルと高度な計算能力では、なお追う側にある。
法整備を先行させることは次善策ではない。ベトナムにとって、ルールそのものがAIインフラの一部なのである。
共通の壁は電力と水 そして人材
先行国も追随国も、最後は同じ制約に直面する。
第一の関門は電力と水だ。タイでは約10GW分のデータセンター計画が系統接続を待ち、審査には2年近く、変圧器の納入にも約2年かかる。当局は約310億バーツを投じて送電網を増強している。ジョホール州は、エネルギー効率と水利用効率の基準を満たさない事業の受け入れを停止した。
AIデータセンターは大量の水も消費する。シンガポール公益事業庁(PUB)は、水利用効率(WUE)を1.2以下、すなわち電力1kWh当たりの冷却水を1.2リットル以下とするよう求めている。
中国の年間発電量が10兆kWhを超えるのに対し、タイは約2100億kWh、マレーシアは約1700億kWhにすぎない。ベイン・アンド・カンパニーは、世界のデータセンター計画の約9割が系統接続の遅れに直面するとみる。東南アジアでは、電力より先に水不足が制約となる可能性さえある。
第二の関門は人材だ。シンガポールのデータセンター産業は現在、約7000人の高付加価値雇用を支えるが、2030年までに人材需要はほぼ倍増する見通しだ。マレーシアでは企業の約9割が技術者不足に直面し、人材流出も深刻である。タイでも専門人材が不足している。
データセンター運営会社BDxはシンガポール技術教育学院(ITE)と覚書を結び、同国初のデータセンター産業向け専門人材育成制度を立ち上げた。それでも、事業の拡大速度は人材育成を上回っている。
【短評】最後に勝つのは誰か
この競争の勝敗は、誰が最も多くのサーバー棟を建てたかでは決まらない。電力と水を安定的に供給し、十分な数の技術者を育てられるかどうかが決め手となる。
シンガポールはルールと高付加価値サービス、マレーシアは大規模ハブ、タイは急速な追い上げ、インドネシアは域外需要の取り込み、ベトナムは制度と人材での布石に力を入れる。各国の立ち位置は、それぞれの資源条件を反映した現実的な選択だ。
4970億ドル近い世界のAIインフラ市場で、東南アジアは急成長する一方、脆弱さも抱える。土地を巡る競争は終盤に入ったが、電力、水、人材を巡る競争は始まったばかりだ。膨大な資源を消費するサーバー施設に継続して供給できる国こそ、次の成長機会を手にする。



