見えない地下に宿る都市の良心

中国東北部出身の技術者が見た東京の道路と下水道

撰文|Riky、李達  攝影|萬戈

10月4日、日曜日。作業服姿の趙剛さんが小型の工事車両で迎えに来て、私たちを東京の北区から台東区まで案内してくれた。走っていると、道路や街角の工事を見るたびに話が始まる。ある交差点を通りかかると、前方を指して言った。「この道は私たちが直しました。あちらの下水道も、私たちが手がけたものです」と話す。少し進むと、今度は15年前に施工した場所に気づいた。隠しきれない誇らしさをにじませながら、「見てください。15年前に造ったものが、今どうなっているか」と私たちに尋ねた。

趙さんは、こうした道を40年近く造り続けてきた。

日本に来たばかりの頃、道をきちんと造るために、もっと専門知識を身につけたいと考えていた。当時は、外国人である趙さんに警戒心を持つ日本人もいた。それが、負けず嫌いな彼の性格に火をつけた。多くを説明せず、こう語った。「私の仕事を見て、中国人に対する偏見を変えてほしい」。その後、現場作業と下請けの仕事から始め、自分のチームを率いて、東京都の公共工事に入札できるところまで歩みを進めてきた。

趙さんは言う。「続けていくうちに、下水道工事こそ良心が問われる仕事だと分かりました」

ここでいう「良心が問われる仕事」とは、重要な工程が終わると地中に埋まり、一般の人には見えなくなる仕事のことで、言わば縁の下の力持ちだ。どんな材料を使ったのか、一層ごとに十分締め固めたのか、管を確実につないだのか。完成直後は違いが分からなくても、数年後には結果が表れる。大雨の後に路面が沈んだり、排水が悪く水たまりになったりする。目に見えない部分ほど、仕事をする人の姿勢が問われるのである。

東京の道を造り、その道を覚え、この街で暮らしと仕事の基盤を築いた。一方で、故郷の中国東北部への思いも変わらない。現在は、日本吉林総商会長春商会の常務副会長も務めている。いつか自分の技術を生かして、故郷に恩返しをしたいと話す。

長春から東京へ 技術者としての転機

若い頃の趙さんは、長春で都市インフラに関わる事務職に就いていた。ある日の夕方、仕事を終えると外は激しい雨だった。数人の仲間と水の中を歩いているうちに、一人いないことに気づいた。周囲を見回すと、その仲間がふたのないマンホールからはい上がろうとしていた。幸い深くはなく、けがもなかった。趙さんは今も、その時のことを思い出すと怖くなるという。「もっと深かったら、どうなっていたか分かりません」

この出来事で、マンホールのふたや道路、排水設備の設計が、人の命に直結していることを初めて実感した。

その後、まず福岡で日本語を学びながら働いた。卒業後は、道路の製図と測量の技術を生かし、道路と下水道の仕事に就いた。当時は、本当に役立つ技術を学び、いつか国のために役立てたいと考えていたという。

日本人の経営者は、初めから全面的に趙さんを信頼していたわけではない。それでも趙さんは、一つひとつの現場で実力を発揮した。仕事を重ねるうちに評価は信頼へと変わり、その経営者が趙さんと一緒に中国を視察したこともあった。

趙さんの厳しさは、自分に対してだけでなく、同僚に対する態度にも表れる。ある工事現場で、日本人の同僚が酒気を帯びたまま出勤し、趙さんが面倒を見ていた中国人研修生に乱暴に接したことがあった。趙さんは詰め所に入り、その場で同僚を帰らせたのだ。経営者に電話した時も、ありのままに事情を説明した。その経営者は趙さんの対応を容認したのである。何年も経った今でも、彼は研修生たちがその後どこへ行ったのかを覚えており、当時、彼らが東京で足場を固められるよう、仕事を紹介したり身元保証人になったりした経験についても語っている。

東京で生活の基盤を築けるよう、仕事を紹介し、身元保証をしたこともあったという。

福岡にいた頃、自分を助けてくれたオーストラリア人の言葉も忘れていない。彼に、どう恩返しをすればよいか尋ねると、「これから、もっと困っている人を助けてください。それが私への恩返しです」と言われた。数十年たった今も、趙さんはその言葉を大切にしている。

見えないミルフィーユ

多くの人にとって、道路工事はアスファルトを敷いて平らにする仕事に見える。だが実際の道路は、何層も重なったミルフィーユのような構造になっている。毎日目にするアスファルトはあくまで一番上の層にすぎず、その下に、荷重を支える基層、路盤、路床が存在するのだ。

テーブルの脚がしっかり安定していなければ、天板をどれほどピカピカに磨き上げても、ぐらついてしまうのと同じです。道路もまたしかりで、下の基礎が緩ければ、表面を平らに仕上げても、車両が繰り返し通り、ひびから雨水が入るうちに、沈下や亀裂が起きやすくなる。

趙さんによると、東京では貨物車が決められた時間と経路で市街地に入ることはできるが、過積載は絶対に認められない。なぜなら、車両の管理に加え道路を守るためでもあるからだ。

車は旧岩崎邸庭園の近くで止まった。趙さんは道路脇のコンクリートブロックを指して言った。

「こうした部材も我々の工事の対象に含まれています。ですから、市発注の工事を受注するたびに、多くのメーカーから見積もりが届くのです」。縁石、排水溝、ふた、集水ますなど、道路を構成する部材の多くは工場で製造し、現場へ運んで設置するプレキャスト製品だ。こうすることで現場でのコンクリート打設や養生にかかる時間を短縮し、一日も早く道路を市民に開放することができるのである。

ただし、この方法がどこでも使えるわけではない。古い市街地は道幅が狭く、地下には電気、ガス、通信、上下水道の管が密集している。寸法が一定でない場所では、現場の状況に合わせた施工が必要になる。

夜間工事という選択

「東京の道路工事は、多くの場合、夜間に行います。作業開始の許可が下りると、施工班が囲いや警告表示を設け、誘導員を配置してから路面を切り、掘り下げていきます。決められた終了時刻までに作業が終わらなくても、鋼板をかぶせるか路面を仮復旧し、歩行者と車両が普段どおり通れるようにします」

「それでは、工事の進捗に支障がでませんか?」

私たちが尋ねると、趙さんは笑って答えた。「1日に何メートル工事できたかというのも一つの効率ですが、近隣の商店や住民の生活、日常の交通を乱さないようにすることもまた、ある種の『効率』と言えるのではないでしょうか?」

そのため、現場には作業員のほかに交通誘導と安全警戒を専門に担う人が必要だ。どこまで囲えるのか、何時に始め、何時までに終えねばならないか。すべて事前に確認しなければならない。

止められない地下工事

趙さんは、道路を人間の皮膚に、下水道を血管に例えて言う。「血管が詰まれば、いずれ皮膚の表面にも問題が出ます」

大都市が豪雨に見舞われた時、路傍の排水口がいくつかあるだけでは不十分で、地下の管網、貯留・調整施設、そして分水施設などが一体となって機能する必要がある。こうした工事は費用がかかり、完成まで時間もかかる。普段は地下に隠れているため、目立つ建物のように人の目を引くこともない。それでも大雨が降れば、その重要性がはっきり表れる。

「行政の責任者が誰に代わっても、重要な基盤整備は変えてはいけません」と趙さんは言う。

この言葉には、日本の長期的な計画への評価と、故郷への思いが重なっている。品質の高い工事をすれば道路を十数年にわたり平坦な状態を保てるし、排水計画が整っていれば、豪雨の時にも道路に水がたまりにくい。機会があれば、こうした経験を故郷の都市インフラ整備に生かしたい、と彼は語る。

接待で仕事は取らない

自治体の工事を受注した後、担当の公務員を食事に招くことはあるのか。私たちは趙さんに尋ねてみた。

「駄目です。駄目、駄目、絶対に許されません」と、趙さんは四回も続けて言った。

「でも、顔見知りの人は多いですよね」

「もちろん知っています。それでも、水一本も渡しません」

「水一本も渡さない」という言葉に、趙さんの性格がよく表れている。遠回しな言い方をせず、決められた一線をきちんと守る。公共工事は、酒席や贈り物で取るものではない。企業がオンライン入札に参加する際、本当にものを言うのは、過去の工事実績がどうだったか、プロジェクトの評価が高いかどうか、そして社内にどれだけ専門資格を持つ人材がいるか、といった点なのだ。

日本で工事を取るには「実力がすべてだ」と言う人もいる。それだけ聞くと簡単そうだが、趙さんは口元を歪めてこう言った。「言うのは簡単です。10年以上努力しなければ、地元の自治体に認めてもらえるはずがありません」

会社を始めたばかりの頃は、下請け仕事しか託してもらえないこともある。それでも、一つひとつの工事をきちんと仕上げれば、工事成績が上がり、信用と人員体制も少しずつ整っていく。そうして初めて、より多くの公共工事に直接入札できるようになる。ここでいう「信用」は言葉だけではない。工事に誠実に向き合ってきた積み重ねであり、時間の経過とともに証明される確かな実績なのである。

どの深さまで掘ったか、どんな材料を使ったか、各層をどのように施工したか。決められた方法で検査し、写真を撮る。着工前、施工中、完成後の記録を残し、工事が終わると、写真、試験結果、書類を検査資料として提出する。埋設後に見えなくなる部分で重大な問題が起きれば、手直しが必要になり、企業が損失を負担することもある。工事成績と信用にも影響し、その後の入札にも響く。ただし趙さんは、良心だけで仕事の質を守れるとは考えていない。実感を込めてこう話した。「良心だけでは駄目です。それでは保証になりません。結局、工事の品質を保証できるのは『制度』なのです」

良心は施工者としての本分であるが、写真や検査、評価といった手段こそが、品質を管理・統制するためのものだ。普段目にする道路も、見えない下水道工事も、後から確認できる記録を残さなければならない所以である。

十五年後にもう一度

車はさらに先へ進む。自分が施工に関わった場所を通るたびに、趙さんは時折感慨深そうな表情を見せた。15年前に手がけた工事が、今もなお現役で使われているのだ。彼にとって、それはどんな美辞麗句よりも重みを持つものだった。

「ここは全部、私が測量し、現場をまとめました」と趙さんは言う。言葉には誇りこそあれ、余計な飾り気は一切なかった。

趙剛という名前が路面に記されることはなく、地下の管に刻まれることもない。近隣の住民でさえも、この道路が中国人技術者の手によるものだとは想像だにするまい。しかし、都市が信頼に足るものかどうかは、まさにこうした、名もなく、人目にも触れにくい工程にかかっている。地上の目に見える部分をきれいに仕上げるだけならさして難しくない。本当に難しいのは、誰も見ていない時にも、施工する人が良心を持って地下の各層を確実に造ることである。

都市の良心とは、こうした見えない場所にこそ宿っているものだ。

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